協立医師協の活動

小名浜生協病院薬剤師支援報告

2011年4月9日
医師協 管理薬剤師 高田満雄

通常は小名浜生協はクリニックと合わせて常勤薬剤師4名、パート薬剤師1名、事務系の助手さん2名で120床(3病棟、回復リハ2と一般1)、外来120〜130名、往診100件の処方せんを通常調剤、院内注射一本出ししていたようです。

「避難してしまった?薬剤師さんがいて、戻ってこられないかもしれない。」常勤3名薬剤師体制でとても困難と全日本民医連に緊急支援要請が4月1日きました。 4月3日、高田が到着したあと、次の日にその薬剤師さんが戻ってこられて高田の支援だけで薬剤師支援は中止で大丈夫だと言う事になりました。
とりあえず、小名浜支援の様子を報告します。

自家用車で行ってきましたが、常磐道は四倉インターまでしか開通していません。小名浜インターは2つ手前のインターです。茨城の那珂あたりから高速が波打っていたり、段差があるところが4,5か所ありましたがあとは復旧工事が進んだのか大丈夫でした。(帰りの上り線の方がいたみがはげしかったようで、工事中で1車線になっているところが多かったです)

被災状況などの報告ですが、病院そのものは海岸から少し離れた小高い丘にあり、建物の損傷はエアコンのふたが落ちてくる、書類が棚から落ちる、建物のひび、駐車場の地割れなどがありましたが、大きな被害はなかったようです。
ただライフラインでは水道が通っておらず、自衛隊の給水車、組合員さんの協力で給水活動が連日行われいて、病院の活動がやっとできている状況のようです。(まだ復旧見込みがついていません)

食糧、水、シェラフも用意していきましたが、わたしは病院食を食べることができ、布団でねさせていただきました。
全日本民医連の看護師さんの支援も10日から入ると言う事で、水道のつながっている地域のアパートを借り上げという事でシャワーも使えました。

原発までは50km圏内なのですが、3月末まではガソリンも手に入らない状況、いわき市の原発風評被害で被害がなくても店舗が閉店、避難者も出て、一瞬ゴーストタウン化して大変だったようです。

私も行きは守谷インターで満タンにして行きましたが、その後のガソリンスタンドのあるインターは閉鎖されていて、インターを降りた後もガソリンスタンドは開いた所がなく、帰りはどうしよう?とあせりました。

帰る頃にはガソリンスタンドもぼつぼつ開いて給油はできました。
また家を津波で流されてしまって避難所から通う職員、職員の家庭でも水道の断水状態が続いていたようです。私が帰る前日(4月6日)、やっと家の水道がでるようになったとほっとしていた薬剤師職員さんもいました。

「避難して戻ってこない?」という薬剤師さんですが、寝たきりの親族を埼玉の施設へ避難させるため職場を離れておられました。

同施設に避難させた高齢者2名がなくなられたそうです。その薬剤師さんのご親族も一時危篤状態が続き戻れなくなっていたようです。
また常勤の1名が先週末、疲れか風邪で寝込んでしまったようです。
常勤2名、パート薬剤師1名に、、28日からお薬を渡すだけの外来から、診察を初めて200名以上の外来(1.5倍〜2倍)近い患者がこられて限界を超えたようです。
わたしが行ってからも、非常勤薬剤師さんが熱発で休まれたり、事務系の助手さんが2名おられますが、入学式で休まれたり、200枚以上の外来処方が来る日もあり、剤数も多くやはり結構大変な調剤量でした。

被災地は数キロ海へ近づくと別世界です。陸に打ち上げられた舟、舟、ひしゃげてそこいらじゅうに散乱する車、車、車、跡形もなく土台しか残っていない街がずっと浜沿いに続いています。
四倉まで病院の車に同乗していきましたが、それ以降上は原発避難地域にも入っており車も入れません。公立いわき病院が津波被害で閉鎖中でした。

また浜の近くの名前は忘れましたが、私立病院では患者避難させている間に病院職員が1名亡くなられたようです。
原発避難騒ぎで、不明者もはっきりしない、捜査の手も入っていない状況が続いているようです。

という事で小名浜の海岸線の個人医院、病院は壊滅状態で、小名浜生協病院が無事がんばっているという状況です。

窓口で患者さんに「大丈夫だった」「よかったね」「でも家流された」と福島のお国ことばで何度もかわされる薬剤師と患者さんの声かけの様子が印象的でした。
被災地を見にいった時の写真もつけましたが、遺品、思い出の品を探している方々が多くレンズを向けるのも気がひけてあまり写真をとりませんでした。
四倉港、塩谷岬のふもとの地域の写真です。

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